おにぎり食べたい

asahi.com:日記に「おにぎり食べたい」 生活保護「辞退」男性死亡 (2007/07/11)
北九州市小倉北区の独り暮らしの男性(52)が自宅で亡くなり、死後約1カ月たったとみられる状態で10日に見つかった。

~ 中略 ~

男性は肝臓を害し、治療のために病院に通っていた。市によると、昨年12月7日、福祉事務所に「病気で働けない」と生活保護を申請。事務所からは「働けるが、手持ち金がなく、生活も窮迫している」と判断され、同月26日から生活保護を受けることになった。
 だが、今春、事務所が病気の調査をしたうえで男性と面談し、「そろそろ働いてはどうか」などと勧めた。これに対し男性は「では、働きます」と応じ、生活保護の辞退届を提出。この結果、受給は4月10日付で打ち切られた。この対応について男性は日記に「働けないのに働けと言われた」などと記していたという。

ところが、その後も男性は働いていない様子だった。1カ月ほど前に男性に会った周辺の住民によると、男性はやせ細って、「肝硬変になり、内臓にも潰瘍(かいよう)が見つかってつらい」と話していたという。

この記事を読んでヒトゴトではないと思ったので書いておく。

男性は52歳。記事からすると、おそらく一人暮らしで身寄りのない人だろう。

52歳だから、仮に年金を毎年払っていたとしても65歳になるまでは年金ももらえない。
病気だけど障害者ではないから、障害年金ももらえない。

近くの人を頼ることもできなかった。
いつか負担と思われることを恐れてなのか、物乞いのようなことはできないということなのか、これらは推測でしかなく本当の気持ちはわからないけど。

電気も水道もないぼろぼろの家で「おにぎり食べたい」と日記に書いて亡くなったことにとても恐怖を感じる。

私もいつか、病気になり、働けなくなり、お金がなくなり、身形が汚くなり、哀れと思われるよりも気持ち悪いと思われるようになり、人々の視線から臆病になり、生きていく為に生活保護をもらいに行っても自信のなさからきちんと状況を説明できず生活保護担当の人に「ダメですねー」と言われたら懇願も反論もできずそのまま提案を受け入れ、真っ暗なところでたった一人で死ぬことになるかもしれない。
死ぬのは家の中かもしれないし、河原の橋の下かもしれない。
(※注:これは私の妄想です。彼がそうだったというわけではありません。)

自治体の人も、もしかしたら「働けるのにいつまでも自堕落に生活保護をもらい続ける人」に疲れきってしまってこんなことになっているのかもしれないけど、助ける方法はなかったのかと思う。

国に何の利益をもたらさない人を助けることにはおそらく賛否両論あると思う。
・自分で準備するなり保険に入るなりしておくべきだった。自己責任だ。
・彼がいままで年金や税金を払って国に少しでも貢献していたなら助けるべきだ。

飛躍するけど、じゃあ生まれてから死ぬまで1円も国に貢献できないひとは助けなくてもいいの?とも思う。
そういう人はある一定の割合では必ずいる。赤ちゃんも若い人もお年寄りも年齢に関係なくいる。
国という体を成しているなら、そういった人でも助けるべきだと思う。

自堕落や無知が多すぎる、相互扶助の精神が薄い人が多すぎると言うなら、それこそ国家としてそういう人ができるだけ生まれないように成すべきだ。
時代の流れや世界の変化にも負けない方法はきっとあると思う。

参考サイト:厚生労働省:平成18年 国民生活基礎調査の概況

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